
潜伏キリシタン文化に学ぶ、時代の変化や新しい概念への向き合い方
天草・崎津集落で見たもの
この夏、熊本の天草にある崎津集落を訪ねました。静かな港町に、教会と昔ながらの家並みが同居する風景は、どこか不思議な空気をまとっています。そこには、幕府の厳しい禁教政策の中で信仰を守り続けた「潜伏キリシタン」[※]の歴史がありました。
彼らは仏像に祈るふりをしながら、実はマリア像に見立てたり、祈りの言葉を口伝でつないだり。
表向きは周囲に合わせながらも、内側では新しい教えを自分たちなりに消化して残していたのです。


※かつては「隠れキリシタン」と言われていました(私もそう習いました)が、現在では「潜伏キリシタン」「隠れキリシタン」を区別する考え方があるそうです。
- 潜伏キリシタン … 禁教下でもカトリック信仰を密かに守り、明治以降に公式な教会に復帰した人々。
- 隠れキリシタン … 明治の解禁後もカトリックに戻らず、独自の信仰形態を続けた人々。
崎津集落の歴史は前者、「潜伏キリシタン」にあたると言われています。
幕府の恐れ
一方で幕府は、その教えを危険なものと考えました。島原の乱をきっかけに「キリスト教が秩序を乱すのではないか」と強く疑い、弾圧や鎖国へと動きます。重税や飢饉といった別の要因もあったはずですが、背後にあったのは「新しい思想は国を揺るがすかもしれない」という恐怖心。未知のものへの警戒は、人の心をこれほどまでに強く動かすのだと感じます。
新しいものに出会ったときの戸惑い
考えてみれば、これは昔の話に限りません。時代が変わっても、人は新しいものに出会うたびに「これは受け入れて大丈夫か?」「生活や仕事を壊すのではないか?」と戸惑います。
江戸の人々にとってのキリスト教がそうだったように、現代の私たちにも“突然現れて世の中を揺さぶる存在”があります。
ChatGPTと出会って、もうすぐ3年
さて時代は変わり、現代。ChatGPTが一般公開されてから、もうすぐ3年になります。
下関でも「名前は聞いたことがあるけど、まだ触っていない」という経営者さんがまだいらっしゃる印象です。
理由はさまざま。誤情報のリスク、コスト、スタッフにどう浸透させるか…。
要するに「新しいものにどう向き合えばいいのか」という戸惑いです。
新しいものを一緒に楽しみましょう
新しいものは、ときに脅威にも見えます。けれども歴史を振り返れば、完全に拒むのではなく、自分たちなりに受け入れて形を変えた人々が、次の時代へとつながってきました。
ChatGPTや、今後生まれるであろう革新的な技術も同じです。
使いこなせるか不安を感じる方もいらっしゃいますが、まずは試し、取り入れながら調整していくことが、未来への一歩になります。
スタジオミライでも、実際の業務にChatGPTを積極的に取り入れています。
人手不足や効率化の課題に直面する中で、AIをどう活かすかは避けて通れないテーマだからです。
まだ答えが出ていない部分も多いですが、試行錯誤しながら確実に成果が見え始めています。
だからこそ、同じように「どう向き合えばいいのか」と迷われている事業者の方に寄り添えると考えています。
一歩先を走る存在というより、隣を一緒に歩きながら考えていく仲間でありたい。そんな気持ちで取り組んでいます。